20年に1度開かれる播磨国総社の「三ツ山大祭」 日本の歴史において20年という周期は意味があるのか?
来年、姫路で20年ぶりの「三ツ山大祭」が開催される。期間は来年の3月31日~4月7日の8日間。ポスターはすでに公開されている。
神戸新聞 3月5日
「三ツ山大祭」の歴史ひもとく 姫路市が研究調査
20年に1度開かれる播磨国総社の「三ツ山大祭」。姫路市が3年がかりの調査に乗り出す(姫路市提供)
来春、播磨国総社(姫路市総社本町)で20年に1度の祭礼「三ツ山大祭」が開かれる。中世末期に定期化されたと伝わるが、1945年の姫路大空襲で焼失した総社には資料が少なく、詳しい変遷や「20年間隔」の意味は定まっていない。市は、2012年度から3年かけて調査し、周辺の神社などに残る古文書や記録をひもとき、全体像を探る。
前回の大祭は1993年。会場には名前の通り、三つの「山」が並ぶ。直径約10メートル、高さ約18メートルの枠組みに色絹を巻いたり、着物の小袖を飾り付けたりして作る。山の上には社も設けられ、神々が宿るとされる。総社では、山が一つだけの「一ツ山大祭」も60年に1度開かれる。
市文化財課によると、一ツ山は939年の「天神地祇祭」が起源とされる。戦乱の鎮定祈願のため、各地の神々に集まってもらったらしい。現在のように「山」が築かれるようになったのは1300年代後半とみられ、「より近い場所に宿ってもらおうとした」との見方が有力だ。
一方、三ツ山は一ツ山の臨時祭として始まり、1500年代後半から定期化したと伝わる。期間中に「流鏑馬」や「競馬」など5種類の神事が行われるのも特徴で、これほどの神事が同時にあるのは全国的にも珍しいという。
市は調査に向け、民俗や歴史の研究者、郷土史家らで委員会を設置。類似した祭りを含めて過去の研究成果や文献を総合的に検証し、現地調査にもあたる。宍粟市の伊和神社にも同様の祭礼があるが、こちらは一つ山が20年、三つ山が60年間隔。ほかに、波々伯部神社(篠山市)や若宮神社(三木市)にも山が登場する祭りがある。
2014年度中には報告書を取りまとめる予定。総社の両大祭は県の重要無形民俗文化財に指定されており、市の担当者は「国の重文指定も目指したい」としている。
射楯兵主神社(Wikipedia)
兵庫県姫路市にある神社。播磨国総社で、播磨地域では濁らずに「そうしゃ」、「そうしゃさん」と呼ばれる。社格は、式内小社、県社。姫路城の中曲輪内に位置する。60年に1度の一ツ山大祭、20年に1度の三ツ山大祭が有名。
一ツ山大祭と三ツ山大祭
一ツ山大祭は、不定期に斎行されていた天神地祇祭(神前の松原で3732座の天神地祇を祀る)で、かつて行われていた影向祭(ようごうさい、神の影向(降臨)を再現する祭礼)を踏襲したことに始まる。6月11日丁卯日に行われており、丁卯祭と呼ばれた。不定期だったが、現在では丁卯に因み60年に1度(丁卯の年に)斎行される。古くから、神は山やその山頂の岩や樹木を依り代として降臨すると考えられていた。それに倣って、高さ18m直径10mで5色の布を巻いた五色山と呼ばれる置き山を造り、その最上部に山上殿を設け、それを依り代として神の降臨を仰ぐのが一ツ山大祭である。神門の上に設けた門上殿へ射楯神と兵主神を移し、神門前の置き山に天神地祇を招く。
三ツ山大祭(臨時祭)は、一ツ山大祭の臨時祭で20年に1度斎行される。三ツ山大祭では、五色山に加え、その東側に二色山、西側に小袖を飾った小袖山が並ぶ。一ツ山と同じように、3つの造り山に神の降臨を仰ぐ。
一ツ山大祭と三ツ山大祭で、かつては神事の内容が異なっていたようだが、現在は同じである。5種の神事、流鏑馬、競馬(くらべうま)、神子(みこ)渡り、一つ物、弓鉾指(ゆみほこさし)が行われる。流鏑馬と競馬は吉凶を占う神事で、神子、一つ物、弓鉾指の者には依巫(よりまし)としての役割がある。このような神事は、近代以前には播磨地域の多くの神社で行われていたが、現在はあまり見られない。神事のほか、様々な奉祝行事が行われ大祭は多くの参詣者で賑う。
三ツ山の雛型が国の有形民俗文化財、一ツ山大祭と三ツ山大祭が国選択、県指定の無形民俗文化財に指定されている。
播磨国一宮伊和神社においても一つ山祭と三つ山祭が斎行されている。こちらは三つ山が61年に1度、一つ山が21年に1度、伊和神社を囲む白倉山、花咲山、高畑山(三ツ山)、宮山(一ツ山)という実際の山において行われる。総社の一ツ山と三ツ山はそれらを象ったものであるという伝承があり、この辺りからも両社の関係が伺える。
伊和神社(Wikipedia)
三つ山祭・一つ山祭
三つ山祭は61年に一度、一つ山祭は21年に一度催行される。三つ山とは白倉山・高畑山・花咲山、一つ山とは宮山のことで、これら四つの山は伊和神社を囲む位置にある。それぞれに岩磐と祠があり、祭礼では祠を整備し、これらの山を遥拝する。山岳信仰、磐座信仰の名残と見られる。
伊勢神宮(Wikipedia)
式年遷宮
神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。神宮では原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える[10]。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われた[11]。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成5年(1993年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている[11]。平成17年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、同25年(2013年)には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。
神戸新聞 3月5日
「三ツ山大祭」の歴史ひもとく 姫路市が研究調査
20年に1度開かれる播磨国総社の「三ツ山大祭」。姫路市が3年がかりの調査に乗り出す(姫路市提供)
来春、播磨国総社(姫路市総社本町)で20年に1度の祭礼「三ツ山大祭」が開かれる。中世末期に定期化されたと伝わるが、1945年の姫路大空襲で焼失した総社には資料が少なく、詳しい変遷や「20年間隔」の意味は定まっていない。市は、2012年度から3年かけて調査し、周辺の神社などに残る古文書や記録をひもとき、全体像を探る。
前回の大祭は1993年。会場には名前の通り、三つの「山」が並ぶ。直径約10メートル、高さ約18メートルの枠組みに色絹を巻いたり、着物の小袖を飾り付けたりして作る。山の上には社も設けられ、神々が宿るとされる。総社では、山が一つだけの「一ツ山大祭」も60年に1度開かれる。
市文化財課によると、一ツ山は939年の「天神地祇祭」が起源とされる。戦乱の鎮定祈願のため、各地の神々に集まってもらったらしい。現在のように「山」が築かれるようになったのは1300年代後半とみられ、「より近い場所に宿ってもらおうとした」との見方が有力だ。
一方、三ツ山は一ツ山の臨時祭として始まり、1500年代後半から定期化したと伝わる。期間中に「流鏑馬」や「競馬」など5種類の神事が行われるのも特徴で、これほどの神事が同時にあるのは全国的にも珍しいという。
市は調査に向け、民俗や歴史の研究者、郷土史家らで委員会を設置。類似した祭りを含めて過去の研究成果や文献を総合的に検証し、現地調査にもあたる。宍粟市の伊和神社にも同様の祭礼があるが、こちらは一つ山が20年、三つ山が60年間隔。ほかに、波々伯部神社(篠山市)や若宮神社(三木市)にも山が登場する祭りがある。
2014年度中には報告書を取りまとめる予定。総社の両大祭は県の重要無形民俗文化財に指定されており、市の担当者は「国の重文指定も目指したい」としている。
射楯兵主神社(Wikipedia)
兵庫県姫路市にある神社。播磨国総社で、播磨地域では濁らずに「そうしゃ」、「そうしゃさん」と呼ばれる。社格は、式内小社、県社。姫路城の中曲輪内に位置する。60年に1度の一ツ山大祭、20年に1度の三ツ山大祭が有名。
一ツ山大祭と三ツ山大祭
一ツ山大祭は、不定期に斎行されていた天神地祇祭(神前の松原で3732座の天神地祇を祀る)で、かつて行われていた影向祭(ようごうさい、神の影向(降臨)を再現する祭礼)を踏襲したことに始まる。6月11日丁卯日に行われており、丁卯祭と呼ばれた。不定期だったが、現在では丁卯に因み60年に1度(丁卯の年に)斎行される。古くから、神は山やその山頂の岩や樹木を依り代として降臨すると考えられていた。それに倣って、高さ18m直径10mで5色の布を巻いた五色山と呼ばれる置き山を造り、その最上部に山上殿を設け、それを依り代として神の降臨を仰ぐのが一ツ山大祭である。神門の上に設けた門上殿へ射楯神と兵主神を移し、神門前の置き山に天神地祇を招く。
三ツ山大祭(臨時祭)は、一ツ山大祭の臨時祭で20年に1度斎行される。三ツ山大祭では、五色山に加え、その東側に二色山、西側に小袖を飾った小袖山が並ぶ。一ツ山と同じように、3つの造り山に神の降臨を仰ぐ。
一ツ山大祭と三ツ山大祭で、かつては神事の内容が異なっていたようだが、現在は同じである。5種の神事、流鏑馬、競馬(くらべうま)、神子(みこ)渡り、一つ物、弓鉾指(ゆみほこさし)が行われる。流鏑馬と競馬は吉凶を占う神事で、神子、一つ物、弓鉾指の者には依巫(よりまし)としての役割がある。このような神事は、近代以前には播磨地域の多くの神社で行われていたが、現在はあまり見られない。神事のほか、様々な奉祝行事が行われ大祭は多くの参詣者で賑う。
三ツ山の雛型が国の有形民俗文化財、一ツ山大祭と三ツ山大祭が国選択、県指定の無形民俗文化財に指定されている。
播磨国一宮伊和神社においても一つ山祭と三つ山祭が斎行されている。こちらは三つ山が61年に1度、一つ山が21年に1度、伊和神社を囲む白倉山、花咲山、高畑山(三ツ山)、宮山(一ツ山)という実際の山において行われる。総社の一ツ山と三ツ山はそれらを象ったものであるという伝承があり、この辺りからも両社の関係が伺える。
伊和神社(Wikipedia)
三つ山祭・一つ山祭
三つ山祭は61年に一度、一つ山祭は21年に一度催行される。三つ山とは白倉山・高畑山・花咲山、一つ山とは宮山のことで、これら四つの山は伊和神社を囲む位置にある。それぞれに岩磐と祠があり、祭礼では祠を整備し、これらの山を遥拝する。山岳信仰、磐座信仰の名残と見られる。
伊勢神宮(Wikipedia)
式年遷宮
神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。神宮では原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える[10]。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われた[11]。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成5年(1993年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている[11]。平成17年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、同25年(2013年)には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。
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