科学における「あたりまえ」と「びっくり」 そして「ナンセンス」と「すばらしい」 鳥瞰すると・・・

科学は社会に貢献もするし、また、社会に害をも与える存在である。科学自体には多かれ少なかれ、その貢献や害をなす要素が含まれているが、それを選択して利用していくのが人間である。

科学を科学者目線と科学者以外の方の目線で分類してみたのが次の表である。

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科学者仲間から見ても尊敬に値する成果はノーベル賞にも匹敵する素晴らしい成果である。これをさらに一般の人からの視点で見ると、「あたりまえ」としている部分は、一般の人にも理解しやすく、また、その成果が待ち望まれていたものである。人類にとっても待ち望まれていた技術ということができる。「びっくり」は一般の方が想像もしていなかった発見で、このような発見があると、少し遅れてではあるが、その発見をもとに始まった研究が人類の幸福に寄与していくことになる。

それに対して、科学者から見て「ありきたり」、あるいは「ナンセンス」と感じられるものには、オリジナリティの欠如であったり、科学と名付けて一般消費者をだまそうとする意図が含まれていたりする場合が多い。

同じ研究費を使うからには、科学者たるもの、同じ科学を行う仲間から多少なりとも「尊敬」あるいは「すばらしい」と言ってもらえるような研究・開発をしたいものである。そのためには、テーマの設定と人材の能力の2つの要素が必要である。この両方がそろわないと素晴らしい仕事を成し遂げることができない。

テーマを決め、そこに研究者(科学者)を投入する、その決定権を持っている人の技量が一番に問われていると思われる。


さて、話は少し飛ぶが、これは先日のブログで示した「科学評価の五段階説」である。科学者から見て「すばらしい」、一般の方から見て「びっくり」するようなこの五段階は、新発見がなされた場合に、科学者と一般の方の双方ともに起こるリアクションである。段階5にたどり着けずに消え去っている新発見が多くあるのではないだろうか。特に、セレンディピティに出くわしたとき、それがセレンディピティであると気づかずに通り過ぎてしまった場合、これは段階1のこんなことは起こるはずがないであるが、その新発見の芽は芽生えなかったことになる。

セレンディピティを手中に収めるのも研究者の持たねばならない能力である。


科学評価の五段階説(J.D.バナールが提唱)
1.この新しい説は全くばかげている。
2.この説は面白いが、残念ながら間違っている。
3.この説には何かがあるかもしれないが、重要ではない。
4.この説は非常に重要であるかもしれないが、独創的ではない。
5.この説はまさしく自分がいつも考えていたことと同じである。


      

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