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zoom RSS 兵庫県三木市志染町に「志染の窟屋(いわや)」広さは32坪 そこは1500年前に2人の天皇の隠れ家

<<   作成日時 : 2011/01/02 21:53   >>

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兵庫県三木市志染町に「志染の窟屋」なるものがあります。少しマニアックになるかもしれませんが、本日ここを見学してきました。近くには、阪神淡路大震災後に建てられた三木総合防災公園があります。

この窟屋は写真にあるように、岩の一部が水平にへこみ、あたかも石器時代の住居のような恰好をしています。目立たない山の中に作られた住居で、自然にできたくぼみというよりは、人力で岩盤に穴をあけた感じです。いまでは、このくぼみの中には浅いながらも水をたたえ、そこにひかり藻が生息しているとのことです。

天皇も昔は苦難を積んだ末に、天が味方してやっとのことで表舞台に出られたのだと、この人里離れたさみしい場所を見学して感じた次第です。


Wikipediaより

仁賢天皇(にんけんてんのう、允恭天皇38年(449年) - 仁賢天皇11年8月8日(498年9月9日))

安康天皇3年(456年)に父の市辺押磐皇子が雄略天皇に殺されると、弟の弘計王(後の顕宗天皇)と共に逃亡して身を隠した。まず丹波国与謝郡(丹後半島東半)に逃げ、後には播磨国明石に住む。兄弟共に名を変えて丹波小子(たにわのわらわ)と称した。縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと)に雇われて牛馬の飼育に携わっていたが、清寧天皇2年(481年)に、弟王が宴の席で王族の身分を明かした。清寧天皇は、子がなかったため喜んで迎えを遣わし、翌年(482年)に2王を宮中に迎え入れた。4月に億計王が皇太子となった。


顕宗天皇(けんぞうてんのう、顯宗天皇、允恭天皇39年(450年) - 顕宗天皇3年4月25日(487年6月2日))

安康天皇3年10月1日(456年11月14日)父市辺押磐皇子が雄略天皇に殺されると、兄の億計王(後の仁賢天皇)と共に逃亡して身を隠した。丹波国与謝郡(京都府丹後半島東半)に行き、後に播磨国明石に住む。兄弟共に名を変えて丹波小子(たにわのわらわ)と名乗り、縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと)に使役され、長い間牛馬の飼育に携わっていた。清寧天皇2年(481年)11月、弘計王自ら新室の宴の席で、歌と唱え言に託して王族の身分を明かした。子がなかった清寧天皇はこれを喜んで迎えを遣わし、翌年(482年)2王を宮中に迎え入れて、4月7日(5月10日)に兄王を皇太子に、弘計王を皇子とした。


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