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zoom RSS 同姓同名を探してみませんか? このようなWebサイトがありました

<<   作成日時 : 2012/05/22 19:46   >>

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「同姓同名探しと名前のランキング」という面白いWebサイトがある。これは、「電話帳の掲載件数をもとに該当する人数(実際の人口ではありません)を探します。一般的に世帯主の名前が掲載されていますので、女性の名前や今どきのお子様の珍しい名前などはあまり該当しないと思います」という前提の下での調査であるが、なかなか興味深い。私の実名(苗字と名前)を入れて検索すると、兵庫県の姫路市と加古川市に各1名、そして東京都八王子市に1名の計3件がヒットする。

このうちの1件は私である。Googleで私の実名を入れて検索すると800件強のヒットがあるが、この中に私を含めて3名の同姓同名が含まれているようである。したがって、実際にランキングでヒットする人数の3〜4倍程度の同姓同名がいると考えても良いのではないか・・・

面白半分に「鈴木一郎」君で検索すると全国に751人、「山田太郎」君は意外に少なく63名との結果となる。山田太郎君は予想外に少なかった。「山田花子」さんも11人と少ない。自分と同姓同名の人がどれだけいるかを調べてみるのは面白い。一度このWebサイトで調べてみてはいかがだろうか。


日本に帰化した人物のなかでは秦河勝が有名である。秦氏は約1400年前に、奈良、大阪、京都で隆盛を誇ったようだ。そして、秦河勝は兵庫県の相生(あいおい)、ここは兵庫県の西部に位置し赤穂浪士で有名な播州赤穂の東側に隣接する、で死去した模様だ。この秦氏の子孫が脈々とつながっていれば、近畿に秦姓が多いことになる。実際に調べてみると、結果は下に示すように、秦姓は全国に散らばっていることがわかる。苗字とはなかなか難しいものである。自分の家系を10代以上さかのぼって調べる難しさがここにある。




秦氏(Wikipedia)抜粋

日本書紀によると応神天皇14年に弓月君(ゆづきのきみ:『新撰姓氏録』では融通王)が朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基になったという。

遼東半島付近から渡来した海人集団の総称が秦氏で、それを束ねていたのは社家だったことがうかがえる。秦氏を擁護した応神天皇の母親神功皇后は天日槍の末裔とされており、秦氏の台頭のレールは天日槍によって敷かれていたとする見方がある。

その後、大和のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。山背国からは丹波国桑田郡(現在の京都府亀岡市)にも進出し、湿地帯の開拓などを行った。雄略天皇の時代には秦酒公(さけのきみ)が各地の秦部、秦人の統率者となったという。欽明天皇の時代には秦大津父(おおつち)が伴造となり大蔵掾に任ぜられたといい、本宗家は朝廷の財務官僚として活動したらしいとされる。

秦氏の本拠地は山背国葛野郡太秦が分かっているが、河内国讃良郡太秦にも「太秦」と同名の地名がある。河内国太秦には弥生中期頃の高地性集落(太秦遺跡)が確認されており、付近の古墳群からは5〜6世紀にかけての渡来人関係の遺物が出土(太秦古墳群)している。秦氏が現在の淀川の治水工事として茨田堤を築堤する際に協力したとされ、現在の熱田神社(大阪府寝屋川市)が広隆寺に記録が残る河内秦寺(廃寺)の跡だったとされる調査結果もある。伝秦河勝墓はこの地にある。また、山背国太秦は秦河勝が建立した広隆寺があり、この地の古墳は6世紀頃のものであり、年代はさほど遡らないことが推定される。秦氏が現在の桂川に灌漑工事として葛野大堰を築いた点から山背国太秦の起点は6世紀頃と推定される。



秦河勝(Wikipedia)抜粋

秦氏は6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団と言われ、そのルーツは秦の始皇帝ともいう。河勝は秦氏の族長的人物であったとされ、聖徳太子のブレーンとして活躍した。また、富裕な商人でもあり朝廷の財政に関わっていたといわれ、その財力により平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わったという説もある。聖徳太子より弥勒菩薩半跏思惟像を賜り広隆寺を建てそれを安置した。610年、新羅の使節を迎える導者の任に当る。644年、駿河国富士川周辺で、大生部多(おおふべのおお)という者を中心に「常世神」を崇める集団(宗教)を、河勝が追討した、とされる。

没したのは赤穂の坂越である。一説には流罪に遭ったためという。坂越浦に面して秦河勝を祭神とする大避神社が鎮座し、神域の生島には秦河勝の墓がある。なお、広隆寺近隣には大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って、広隆寺境内から現社地へ遷座したものである。



大避神社(おおさけじんじゃ)は兵庫県赤穂市坂越(さこし)にある神社。祭神は大避大神(秦河勝)・天照皇大神・春日大神。



同姓同名探しと名前ランキング

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古来、日本は多くの文化を中国、朝鮮から取り入れていた 帰化人という「人」そのものも含めて
昨日のブログでは「同姓同名」に付いて触れ、その中でも古くからある帰化人に由来する名前「秦」に触れた。これは秦の始皇帝の「しん」であり、日本では「はた」という名前でしられる。「秦」姓の日本国内における分布についても同時に記した。 ...続きを見る
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2012/05/23 06:34

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