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zoom RSS 日蝕によっても変わらなかった平家敗北の運命 安徳天皇悲し この日蝕は本当に起こったのか?

<<   作成日時 : 2012/05/20 03:13   >>

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昨日の毎日新聞の余録によると、1183年11月、岡山県水島における源平合戦のさなかに日蝕(金環蝕)が起こり、源氏の兵が散りじりバラバラになったとある。歴史によると1185年4月に安徳天皇が死去して源氏が勝利を納めることになる。日蝕に救われた命も、1年半延命しただけに終わった計算となる。

さて、この日蝕は本当に起こったのか? Wikipediaには1183年の記載はない。だが、下に引用した日食ナビには、この年に日蝕が起こったとあり、その範囲も地図上で示されている。

毎日新聞の余録にあるように、すでにこの頃には日蝕の発生時刻と発生場所が計算できたようである。今でもコンピュータを用いて計算するところであるが、当時の計算技術は今と遜色ないほどに進んでいたのかと改めて驚かされるところである。




毎日新聞 余録 5月19日
 安徳天皇を奉じて西海に逃れた平家が備中水島の城に立てこもった時だ。海陸から攻めてきた木曽源氏の軍に城中から軍鼓とともに平氏が打って出ると、天がにわかに暗くなった。やがて夜のようになると源氏の軍兵は方向を失って逃げ散った。
 ご推察通り、日食である。面白いのは驚いて算を乱した源氏に対し、平氏はかねてよ日食が起こるのを知っていて攻め立てたと「源平盛衰記」が記していることだ。京にいた平氏は暦博士による日食予測を手にしていたのだ。
 1183年11月17日のこの日食は金環食だった。(つづく)



安徳天皇(Wikipedia)
在位期間
1180年5月18日 - 1185年4月25日
 即位の年に清盛の主導で遷都が計画され、福原行幸(現在の神戸市)が行なわれるが、半年ほどで京都に還幸。寿永2年(1183年)、源義仲の入京に伴い、三種の神器とともに都落ちする。平家一門に連れられ大宰府を経て屋島に行き、行宮を置いた。源頼朝が派遣した鎌倉源氏軍によって、平氏が屋島の戦いに敗れると海上へ逃れる。そして寿永4年(1185年)、最期の決戦である壇ノ浦の戦いで平氏と源氏が激突。平氏軍は敗北し、一門は滅亡に至る。



日食(Wikipedia)

959年12月3日(天徳3年11月1日):皆既食 現在の兵庫県付近に始まり京都を通過して紀伊半島方面に抜けたが、当日は雨で不見。

975年8月10日(天延3年7月1日):皆既食 『日本紀略』に「天延三年七月一日辛未、(中略)、卯辰刻皆虧 如墨色無光 群鳥飛亂 衆星盡見 詔書大赦天下(以下略)」(天延三年七月一日辛未[975年8月10日]、卯辰の刻に皆虧[午前七時に皆既]、[太陽は]墨色の如くにて光無し。鳥の群れ乱れ飛び、多くの星すべて見えたり。天下に大赦を発布す)[4]と書かれており、他にもこの食を記録した文献は多い。日本の首都で見られた史上初の皆既日食で、大事件であり、朝廷は天下に大赦を発布して、通常は対象にならない死刑囚まで罪を減じられている。中心食は中国の重慶付近で始まり、中国地方から関東地方を通った。京都での食甚は午前7時48分(京都真太陽時)とされる。

1080年12月14日:金環食 正見。中国奥地に始まり九州、四国、本州南半分を覆ってアリューシャン列島付近に達する。

1107年12月16日:金環食 不見。京都で日入帯食。京都のわずか手前で中心食が終わったとする推算結果もある。

1210年12月17日:金環食 京都で中心食。山陰沖(島根県隠岐島)で始まり太平洋を横断して北アメリカ西岸沖で終わった。



日食ナビ
1183年11月17日
源平合戦の日に金環日食

1183年11月17日。この日は水島で源平合戦がありました。当時、京を追われた平家は西へ落ちていきました。途中水島で源氏である源義仲軍と対峙したのが水島の合戦です。

水島の合戦では源義仲軍は敗走し、平家が源氏に勝利しました。そしてこれを機に、平家は一時的に勢力を盛り返したのです。「源平盛衰記」によると、この戦いの最中に日食が起こって「闇夜の如くになりたれば・・・」となったのだそうです。

この日はお昼前頃に金環帯が中部地方を通り、金環日食が見られたはずなのですが、NASAによると金環帯の東端は広島付近を通っています。もしこれが正しいとすると、水島では金環日食ではなく、大きな部分日食で終わったことになります。

しかし別の計算によると、かろうじて金環帯が水島にかかっており、食分0.95まで太陽が欠けて1分50秒の金環日食になったとされています。どちらが正しいのかわかりませんが、いずれにせよ、合戦の最中に大きな日食が起こった珍しい例といえます。




2012年金環日食の北限線からみた計算精度

次に、2012年の金環日食を例にして計算精度をみてみます。この金環日食では金環帯の北限線が兵庫県明石市を通っています。NASAが計算したものと「つるちゃんの日食ソフト」を使ったものとを地図上で比べてみたところ、200m強ほどの違いしか生じませんでした。これだけでは何とも言えないところもありますが、それなりの計算精度があるようにも思われます。(子午線が通る兵庫県明石市は金環の輪がつながりますが、それより西に位置する加古川市や姫路市では、残念ながらその輪が途切れることになります)

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